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雪山

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ゴールデンウィーク実家に帰ったとき母親がニュースを見ながら私に
「あんた雪山はやめときなさいよ」と言いました。
「そうだねえ」といい加減に答えていたのですが
あっさり誘惑に負け、こないだの日曜、残雪の木曽駒ケ岳に行ってしまいました。

「行きたいでしょ?」って聞かれて、「行きたいです!」と答えていた。
親不孝な母の日でした。

でも行く前に母親に「雪山行ってきます。」とメールしました。
怒られるかなーと思いつつ。
山に登るときは必ず母親に誰とどこの山に行くかだけはメールを入れます。
「行ってきます」と「無事下山」を家族に言えないやつには
山に登る資格ないと思うんですよ。
と、そんな偉そうに考えているわけではないんだけど。
ただでさえ心配される趣味なのだから、少しでも不安にさせないように
それくらいのことはしないとなーと思っています。


雪山を歩くのは、難しかったです。特に下り。2回滑りました。
2回とも同行者に止めてもらいました。
滑った後は怖くて次の一歩を出すのが怖くなりました。
怖いよう、と泣きたい気持ちになりました。
小さいころ迷子になったときの、心細い気持を思い出しました。

でももし泣いたところで結局自分の足で歩いて降りるほかないわけで
一歩ずつでも降りるか、と思って歩くことにしました。
冷静に踏むところを見極めれば滑らないし。
それに何より、立ち止まって見渡すと景色がきれいできれいで
いつ顔を上げてもきれいなんですよ。
景色に励まされて歩いてました。

同行者はちょっと先を歩いていました。
ロープウェイの駅までたどり着いたとき私が「ああ、怖かった」と言ったら
その人はニヤリとしながら「楽しかったでしょ」と言いました。
ちっとも余裕のなかった私は「楽しかったけど、怖かったです」と言ったけど、
言っている途中でそう言った自分がなんだか悔しくなり
すぐ「怖かった、けど、楽しかったです」と言い直しました。
「あはは。でしょ。」と笑われました。
私の台詞が強がりであることまでバレているようでした。


雪山は、信じられないくらいきれいでした。
山頂から下りたくなかったもん。
あんな怖かったのに、また行きたいと思ってしまっています。
安全に快適に歩けるようにならなきゃ。
楽しむための努力は、しないとな。

理由と成長

山登りをする理由を聞かれて「いやー、なんですかね」「なりゆきで」等と答えていたのですが
最近は「気持ちがいいから」と答えています。
何が気持ちいいのかと問われたら理屈では答えられないんですが。

直感的にしゃべっても感じ取ってくれる、と安心できる相手には
「ああいま山にいるなああ、っていうのと、あああっちにも山が見えるなああ
 っていうのが気持ちいいんですよ」
と答えます。
今のところそれ以上は説明できません。


山は登る前から判断の連続なんですよね。
こんな面倒くさいことってそんなにないと思います。
誰とどこの山にいつ行くか、その山の中でもどのルートを選ぶか、
どれだけの装備を持っていくか何をおやつにするか山頂で何を食べるか。
歩いてるときは、どのくらいのペースで歩くのか
いつ休憩するのかどれくらい水を飲むのか
進んで大丈夫なのか引き返したほうがいいのか
防寒着を着るのか脱ぐのか
次の一歩はどこに置いたらいいのか。

ちゃんと登るには、そういうことを自分で全部
判断できなきゃいけないんですよね。
一緒に登る人と相談はできても。
最低限、自分の体調とか体力は自分で感じ取らないと。

自分で判断しようという姿勢を持っている人じゃないと
疲れるし、何より危なくて一緒に登れないよなあ、とも思います。


だからね、私も自分で判断できるようにならないと。
判断するには知識もいるし経験もいるし体力もいるし、
自分の体調を感じる能力もいります。
私はたまーに一人で山に登ってますが、それは、
そういうものを身につけるためのトレーニングなのかも、と思います。
山はやっぱり人と登るほうが楽しい。
誰かと一緒に「気持ちいいね」と言えるほうが。

一緒に登ってくれる人がいるっていうのは幸せだなと思うので
そういう人たちへの感謝は自分の成長を以って表したい、と思う。
そんな感謝の仕方は独りよがりかなあ。
でもそういう成長は山を楽しむチャネルを増やすことになるんだと思うのです。
がんばらないとな。

連休

この連休中、私の山登りの師匠は北アルプスに山スキーに行くと言っていました。
北アルプスでの遭難事故をニュースで聞いて
その人の顔が浮かびました。
報道されている人に該当はしていないけど
どうしても連想くらいはしますね。
大丈夫だろうとは思っても、天気が不安定で吹雪にもなったって聞いたから
「生きてますか?」なんてメールするくらいは許して欲しい。

でもそのメールって何なんだろうと思いました。
大丈夫かなと訝しく思ったところで実際にその人が遭難していたら
町にいる私にできることなんて無いわけで
ましてメールなんてしたところでその人の安否になんの影響も与えないよね。
でもメール送ったんですよ。
なんでですかね。

たぶん、無事なら無事だということを少しでも早く知りたかったんですよね。
メール入れとけば下山したとき返信くれるだろうから。
つまりね、早く安心したいという自分のエゴなんですよね。

あとはね、あなたのことを気にかけてますってことを
本人に知って欲しいのかなとも思いました。
知ってもらってどうというメリットもないんだけど
それは犬が飼い主にしっぽを振るのと一緒かな。
慕っている相手への親しみは伝えたいもんなのよ。


「無事下山」って、雪山の写真見せてあげるねって返信があって
あー良かったと思いました。
連休が終わってまたちゃんと日常が戻ってくるな、と。

眠いなー。
日常はいいけど仕事行くのはめんどくさい。

姉と弟

職場の人に家族構成を聞かれ弟がいますと答えたら
「見るからに姉っぽい」と言われました。
なんとなくそれは面白くない。


問題は、私は姉ながらちっとも「姐御肌」ではないってことですよ。
人の面倒を見たり全体に気を配ったりしないんです。
しないというか、できません。
そういう私の「姉っぽさ」って何なんだ。

人付き合いにおける距離の遠さと、頑固さと、他人への厳しさかなあ。
根は全て警戒心の強さからきている気がします。


弟、妹が生まれるという体験はやっぱりいつまでも根底にあるんですかね。
自分を今かわいがってくれている人も、自分よりかわいい存在ができたら
簡単にそっちに行っちゃうんだ、といつも感じている。
だから他人の好意の永続性を期待しないでおこうと、警戒しているんだと思います。

でももう30年近くも生きてきているんだし
弟の誕生をこんな風に重大なこととして捉えなくていいよなとも思います。
人生における「原体験」であるかのように大きく据えておかなくても。
自分の今持ってる性質の原因にしなくても。

とはいえやはり幼いときの経験や家庭環境からはなかなか自由になれないですよ。
だからこそ自分の経験や生まれ育った家庭を相対化するのは大事なんだろうな。
そんでそのためには人と話をしないとね。
もっと色んな人と話をしないとなー。

次までに

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友達と二人で山に登ってきました。

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山頂でカレーうどん作って食べました。


ある知り合いは「頂上で美味しいもの食べるために山に登ってる」と言っていました。
私は、そうではないなー。

山に登ると日常のことがどうでもよくなる、というようなことを言う人もよくいて、
それはわからなくもないけど私はちょっと違うなーと思います。
違う気分で考えられるようにはなるかもしれないけど、どうでもよくはならない。

山に登ると「次は」って思うんですよね。
次はどの山に登ろう、ということもあるし、
同じ山でも次は違うルートで登ってみようかな、次は違う季節に来ようかなと思う。
「次は」って思うのは楽しい。
次の景色を見たいなあと思うんです。
ただ、「次の景色」がなんでまた山じゃなきゃいけないのかはわかりません。

これは私が山に登る理由ではなくて、山が好きな証拠に過ぎないか。

山で撮った写真を見て、その景色の美しさは感じとれても
その景色の中に立っている気持ちの良さは味わえないなと思います。
思い起こすことや思い出すことはできるけど。
一度でも山の上にいる気持ちの良さを味わえたから、
山の写真を見ても心を動かされるようになったんだよな。

だからもし私の山登りが長続きしなかったとしても、
人生の中で一度でもその気持ち良さを経験することができてよかったと
あとから振り返ったときに思えるだろうと、思います。
なんて考えること自体が先回りしすぎかなあ。

感覚とか感情とか思考回路とかそういうものは
一度でも通過するのとしないのとでは
その後の感じ方考え方の幅が違うのではないかと思う。
だから続くとか続かないとかを心配せずに
今楽しめることを楽しまないと。


バドミントンの試合も「次は」と思う対象です。
次の試合までに何ができるようになるだろう、何の練習をしよう。
ちなみに次の試合は6月3日です。ミックス。
それまでに何ができるかなあ。

Appendix

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Author:sayako1009
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